ピエトロ・マスカーニ (1863-1945)
Pietro Mascagni

マスカーニはイタリアのトスカーナ州リヴォルノ市にパン屋の息子として生まれた。 1882年ミラノ音楽院に入学してポンキエッリに学んだが2年で中退、オペレッタ一座の指揮者となって各地を巡業した後、 プグリア州チェリニョーラ市で音楽教師をしながら作曲を行う。1889年、音楽出版社ソンツォーニョの1幕歌劇コンクールに応募した「カヴァレリア・ルスティカーナ」が1位入賞となり、 一躍認められるところとなった。センセーションを巻き起こした1890年ローマでの初演に続き、1年足らずのうちに世界中で上演され、 現実社会を写実的に描くヴェリズモ歌劇の代表作となった。以降、生涯で15曲の歌劇をはじめ、管弦楽曲、歌曲、ピアノ曲等を残したが、 余りにも有名になった「カヴァレリア・ルスティカーナ」の成功を超えるものは出なかった。 1895年から1902年にはペザロのロッシーニ音楽院の院長をつとめ、後にローマに移住、その地で逝去した。

歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」  (1890) 
"Cavalleria Rusticana"

「カヴァレリア・ルスティカーナ」はジョヴァンニの短編小説及び戯曲を基に書かれた歌劇で、題名の意味は「田舎の騎士道」である。 シチリア島のある村を舞台に、軍隊から除隊してきたトゥリッドゥ、その間に馬車屋アルフィオと結婚してしまった元の恋人ローラ、代わりに愛を求めたサントゥッツァが絡み、最後には決闘になり殺されてしまうという悲劇である。 幕が上がる前に演奏される前奏曲(Prelude)は、オペラの中に現れるモチーフや主旋律を素材として構成されている。前奏曲の中ほどに、トゥリッドゥが恋人ローラに対する愛の思いを歌うシチリアーノ(Siciliana)が挟まれる。 また場面転換で静かに演奏される間奏曲(Intermezzo)は、後半激しく展開されるドラマの前に、ほっと一息入れることで悲劇的結末の効果を高めている。この巧みな手法は、以後のヴェリズモ歌劇に利用される定型となった。 死を覚悟して決闘に臨むトゥリッドゥは、酒に酔ったふりをしながら、「母さん、この酒は苦いね(Mamma, quel vino e generoso)」と歌って、母ルチアにそれとなく最後の別れを告げる。そして、自分が帰って来なかったらサントゥッツァの母親代わりに面倒を見てほしいと言い残し、走り去っていく。

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