ジャチント・ラヴィトラーノ (1875-1938)
Giacinto [Hyacinthe] Lavitrano

ナポリ港頭のイスキア島に生れ、作曲はナポリで学んだが、早くからフランスに帰化 (仏名はヤセント) して仏領アルジェリアのボーナに居住した。このボーナのマンドリン合奏団「ソシエタ・ローロール」は20世紀初頭にイタリアやフランスの各地で開かれたいくつかの合奏コンクールに、アフリカ大陸より唯一参加しており、彼はこの合奏団とはつながりがあったものと思われる。
彼の三大作、「ローラ」は1902年トリノの Il Mandolino 誌、「雪−ロマンツァとボレロ」は1908年ミラノの Il Plettro 誌、「レナータ」は1909年パリの L’Estudiantina 誌で主催した作曲コンクールでいずれも入賞し出版された名曲であり、この作曲の時期とボーナの合奏団がコンクールに出場していた時期は見事に重なっている。
その後20余年のブランクがあったが、1933年に突如としてマチョッキ主宰のエストゥディアンティーナ誌に「全ては去りぬ」、「晩年に」、「コロンビーヌ」等数曲が続けざまに掲載出版された。

レナータ (1908)
Renata - Overture

「レナータ」は「ローラ」の姉妹曲ともいえるもので、共に女性の名前である。
「ローラ」は、確証は全くないのだが、19世紀のヨーロッパでその美貌により浮名を流したスペインの舞姫ローラ・モンテス (実はスコットランド人マリア・ギルバート) の数奇な運命を描いたものだといわれている。 一方「レナータ」のほうはラヴィトラーノ自身が深く愛した歌姫との愛の物語であったのではないかと伝えられている。

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