木村 弦三 (1905-1978)
Kimura, Genzo

木村弦三 (本名・源蔵) は弘前に呉服商の長男として誕生。1921(大正10)年、近くに住む5歳年上の石坂洋次郎が慶應義塾に入学し慶應マンドリンクラブに入部。その夏帰省時に弦三は彼からマンドリンを弾いて聴かされ、その音色に魅せられてマンドリン・ギターの奏法と作曲技法を独学で習得する。1922年石坂と共に「弘前マンドリンクラブ」(1923年、日本マンドリン界の指導者武井守成男爵の命名により、マンドリナータ・ディ・ヒロサキと改称) を結成、主宰する。1925年郷土の詩人・福士幸次郎が提唱する地方主義に共鳴し津軽民謡・民俗音楽の収集を始め、郷土の音素材を中心とした作品を次々と作曲、発表した。音楽の分野にとどまらず、民俗土俗人形・郷土玩具・こけしの収集・研究にも力を注ぎ、人形の家「朱魚堂」を造り約2万点に及ぶ膨大な収集品を収蔵した。戦後は民俗芸能の継承・保存に関する論文等を多数発表。

北秋 作品16 (1925)
The Northern Fall, Op.16

「北秋」 (作品16) は福士幸次郎の「地方主義宣言」に呼応して作曲された満20歳の作品で、後年の作品に見られる北の香りのする独特のリリシズムは感じられないが、明るい収穫の喜びから厳寒の冬への予感が交錯する北日本の秋である。
【作曲者自身によるこの曲の覚書より】
「故郷!故郷!ほかの人間から、どんなにつまらなく見えるところでも、これを故郷とする人間にとって、土地が心に及ぼす作用は異常である。われ等がこの世に生れて初めて生れ出でた土地に茂っている、ひと摘みの草だって、ひとかけらの石だって、他のどんなところでも味わうことの出来ぬ感動を、情愛を、時には思想をまでも、もたらしてくれる・・・。」 (福士幸次郎〜地方主義宣言「土地の愛」から)
口語詩の先駆者として、萩原朔太郎等に多大な影響を与えた弘前市出身の詩人・福士幸次郎が大正14年秋、東京で2年前の関東大震災で被災を受けたため津軽に疎開してきて、青女子村に居をかまえた。足繁くそこへ通った私は福士幸次郎の話や、彼の一連のエッセイを読み、自分の生れ育った地方というものを考えた。そして、周囲に広がる季節の移りゆく田園風景と人々の暮らしに深い感動を覚え、この曲を作曲した・・・。

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