フランツ・ヨーゼフ・ハイドンはハンガリー国境ローラウに車大工の長男として生れ、6歳の時ハインブルクの教会の合唱長をしていた父の義弟に引き取られ、8歳からウィーンの聖シュテファン教会合唱児童となって音楽の道に進み、ウィーンに没したオーストリアの作曲家。
ハイドンは数多くの交響曲や弦楽四重奏曲を書いたが、協奏曲に関してはそれほど多くない。彼の唯一の「トランペット協奏曲」は、親友であったトランペット奏者ヴァイディンガーが発明した鍵盤付トランペットのために作曲されたもので、ハイドン最後の協奏曲であり、最後の管弦楽曲でもある。この楽器は管に音穴を開けて5つの鍵盤(キー)を付け、半音階が出せるように改良されたものだが、音質に難があるためほとんど普及しないままに終わった。またこの楽器は高音を吹く技術のクラリーノ奏法で演奏されるのであったようで、原譜の曲名は「クラリーノ協奏曲 Concerto per il clarino」となっている。現在では勿論19世紀に発明された通常のバルブトランペットにより演奏されるが、最も有名なトランペット協奏曲の傑作であり、トランペット奏者を目指す若い人達のコンクールで定番課題曲にもなっている曲である。