ヨハネス・ブラームス  (1833-1897)
Johannes Brahms

ブラームスは、J.S.バッハ、ベートーヴェンとともに、ドイツ音楽における三大Bと称される作曲家。 ハンブルクで生まれ、コントラバス奏者であった父から音楽の手解きを受けて、早くからピアニストとして演奏活動を行った。 後にピアニストとしての活動から手を引き、作曲活動に専念することとなるが、ハンガリア舞曲の原点は若きピアニスト時代に育まれたものである。

ハンガリア舞曲 第1番 (1869)
Ungarische Tanze Nr.1

1853年、ハンガリーの名ヴァイオリニストであったエドゥアルト・レメーニと組んでドイツ各地の演奏旅行に行ったブラームスは、 レメーニからジプシーの音楽を教えられて大きな興味を持つこととなった。その後もそうしたジプシー音楽の旋律を採譜し続け、 1869年、4手連弾のピアノ曲として「ハンガリア舞曲」第1集(第1番〜第5番)及び第2集(第6番〜第10番)を出版した。 この曲集はたちまちベスト・セラーとなったが、レメーニからは著作権の侵害であると非難されることとなる。 しかし、自作ではないとの認識を明確にしていたブラームスは、作曲ではなくピアノ用編曲として出版しており、 自身の作品番号も付けていなかったことで、その後の訴訟も勝利に終わった。以降、更に第3集・第4集も刊行され、 現在知られる21曲からなる『ハンガリア舞曲集』となった。全てが4分の2拍子で書かれ、チャルダッシュの様式を取り入れて遅い舞曲と急速な舞曲で構成されている。 それぞれの曲はその後多くの作曲家により管弦楽曲に編曲され、現在もよく知られ演奏され続けている。 第1番の管弦楽版はブラームスが指揮した演奏会用に、ブラームス自身により編曲されたものである。

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