ウーゴ・ボッタッキアーリ (1879ー1944)
Ugo Bottacchiari

ウーゴ・ボッタッキアーリはイタリアのマルケ州マチェラータ市カステルライモンドに生まれた。音楽好きであった彼は市の工業学校を出たあと、郷土に近いペザロ市のロッシーニ音楽院でP.マスカーニの教えを受け、卒業後作曲活動に専念した。文部省主催の作曲コンクールで金牌を受けた交響楽「ジェノヴァ市に捧ぐ」の他、数々の管弦楽、吹奏楽、オペラ、歌曲を書き、そのほとんどをボローニャ市のAlfredo Comellini社より出版した。マンドリンの最初の作品「愛の憂鬱」は1897年にボローニャ市のIl Concerto誌により発表されたが、A.Comellini社からもマンドリンの作品は40曲近くが出版されている。しかし彼が最も名声を高めた曲はロッシーニ音楽院の学生であった弱冠20才の時の処女作オペラ「影(又は亡霊)」で、1899年マチェラータのロッシ劇場で初演され、大成功を収めた。今でもカステルライモンド駅前の町役場横の道は、郷土の誇りとしてウーゴ・ボッタッキアーリ通りと名付けられている。このオペラ「影」のオーケストラ用楽譜「大幻想曲“影”」は松本譲氏によりマンドリン合奏曲(25分の大作)に編曲されている。  教育者としては、しばらくルッカ市吹奏楽団の指揮者並びにパチーニ音楽院の教授を務めたが、コモ市出身の作曲家A.Cappellettiと親しくなり、30才で移り住んだコモでフローラマンドリン合奏団、コモ市民吹奏楽団の指揮者となった。現在コモには彼の指導を受けた人の流れを汲むマンドリン合奏団チルコロ・マンドリニスティコ・チッタ・デ・コモが存在する。

交響的前奏曲(1915)
Preludio Sinfonico

A.Comellini社から出版された。本曲と、1910年にミラノのIl Plettro誌主催第3回作曲コンクールでS.ファルボの「組曲“田園写景”」とL.メラーナ=フォクトの「過去への尊敬」と共に一等賞を得た「誓い(Il Voto)」、さらに1941年にシエナの第2回マンドリン合奏曲コンクールで一位を勝ち得た「夢の魅惑」が、彼のマンドリン合奏曲の三大傑作といえよう。何れも夢幻的なロマンティシズム溢れる曲である。  曲の構成は、まずLargo appassionatoで第1主題が低く感情を押し殺したように第1マンドリンに現れる。変調しながら繰り返された後、第2主題をやはり第1マンドリンがメランコリックに奏でる。そして次第に調を変えて展開するとともに、和音の美しい動き、ドラマティックな感情の高まりなどが曲を盛り立てる。最後にSostenuto Grandiosoで力強く第1主題を奏してゆっくり終わりを告げ消えていく。

「祈り」間奏曲 (1924)
 Preghiera〜Intermezzo

「祈り」は歌劇「祖国のために」をもとにボッタッキアーリが自らマンドリン合奏用に作曲した小品であるが、美しい旋律とそれを支える繊細ながらも厚みのある和声等に、いかにもボッタッキアーリらしさが溢れている。

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