ディーノ・ベルッティ (1893.8.31-1947.8.22)
Dino Berruti

ディーノ・ベルッティはイタリアのモンフェラートに生まれた。非常に神経質な人柄で、そのためしばしば起こる発作に長く悩まされていた。特に戦後は疲労のための発作が甚だしく、1947年にその治療のため簡単な手術をすることになっていたが、彼はこの手術に極度の恐れと絶望感を覚えて手術の直前に自らの命を絶ってしまったのである。53歳であった。 このような性格はその作品にも影響してか繊細かつ暗いものが多いが、情緒に富んだ作風は彼がいかに感受性の豊かな作曲家であったかを物語っている。マンドリン合奏で最初に出版されたものは1929年の「謝肉祭の物語」であるが、1930年イル・プレットロ誌主催の作曲コンクールで入賞した「黄昏語る時」(1位)や「モスコーの真昼」(2位)をはじめとして、「ジプシーの心」「ミヌエット」「東洋の神秘境にて」小交響曲詩「クレオパトラの変貌と死」等、現在なお親しまれている作品も多い。生涯の作品数は50曲ほどである。なおDinoは通称で、本名はGiovanniである。

黄昏前奏曲 (1930)
Crepuscolo, preludio

この「黄昏前奏曲」は1930年にイル・マンドリン誌に発表されたもので、「黄昏語る時」「ハンガリーの黄昏」とともに“黄昏三部作”として多くの人々に親しまれている作品である。

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