ベートーヴェンは古典派からロマン派にかけて活躍したドイツの作曲家で、「楽聖」の称号が与えられている音楽史上でも最も重要な人物の一人とされる。ドイツのボンにてベルギー系移民であった祖父の代からの音楽家の家系に生まれた。10代からピアノ演奏家として名を成したが、22歳でハイドンに師事し作曲技術を学んだ頃から、ウィーンで本格的な作曲家としての音楽人生を歩み始めた。しかし、28歳の頃から耳が聞こえにくくなり、急速に難聴が進行し、40歳頃には遂に全聾となった。
交響曲第3番変ホ長調「英雄」は1802年に着手され、1804年12月にロブコヴィッツ侯爵邸で非公開初演、1805年4月7日、アン・デア・ウィーン劇場で初演された。 ハイドンやモーツァルトの影響を強く受けた初期の作品とは異なり、古典派の様式美にロマン主義を両立させた中期作品の代表とされ、後世の音楽家に強い影響を与えた。当初はフランス革命の中から出現したナポレオン・ボナパルトに共感して献呈する意図であったが、ナポレオンが皇帝に即位して権力の座についたことに失望、「ある英雄の思い出をまつる」曲として、イタリア語で「シンフォニア・エロイカ(英雄交響曲)」と記したとされる。 第2楽章は英雄の死を悼む「葬送行進曲」である。
「エグモント」は、文豪ゲーテによる同名の戯曲、オランダ独立史に登場する実在の軍人エグモント伯をモデルとした悲劇のための付随音楽で、1809年から1810年にかけて序曲とソプラノ独唱を伴う曲を含む小品9曲が作曲された。 1810年5月24日にブルク劇場でベートーヴェン自身の指揮で初演されたが、 序曲は初演に間に合わず、6月15日の4回目の公演から付されたと考えられている。現在では全曲が演奏されることはなく、この序曲のみが単独で演奏される。