鈴木静一 (1904〜1980)
Suzuki,Seiichi

明治37年(1904年)10月16日生。1911年に来日したイタリアオペラの第一人者、マンドリンの名手で作曲家でもあったアドルフォ・サルコリが鈴木静一のマンドリンへの眼を開いてくれた。鈴木は父上の希望で慶應義塾に入学したが、学校に通うよりもサルコリの許に通う事が多く、ついには中退してしまった。東京プレクトラム・ソサィエティに所属してマンドリンへの道を歩み始め、大正13年に処女作「山の印象」を世に出して以来、多くのマンドリン曲を作曲し、大正から昭和にかけてのマンドリン黄金期に貢献した。作品「空」は「オルケストラ・シンフォニカ・タケヰ」主催の第1回マンドリン・オーケストラ作曲コンクールで1位なしの2位、翌年の第2回コンクールでは「北夷」が1位なしの2位を獲得した。その後徐々に一般音楽分野へも入っていき、映画音楽専門に転向した。黒澤明監督の下での名作「姿三四郎」を作曲したのを初め、戦後も「明治天皇と日露大戦争」「次郎長三国志」など多くの映画音楽を世に出した。 昭和40年11月親友小池正夫の逝去に当り、翌年5月追悼曲カンタータ“レクイエム”を作曲したのをきっかけに、竹内マンドリン・アンサンブルの要請により旧作の「人魚」を増補改訂して「アンデルセン童話による譚詩とマンドリン・オーケストラ“人魚”」を発表し、マンドリン音楽界への復帰を表明した。その後は、マンドリン・オーケストラ作品を次々と発表し、広く愛奏されている。1980年5月27日惜しまれつつ世を去った。

楽詩「雪の造形」(1968)
The Snow figurative arts

オルケストラ“プレットロ”(OP)の前身アンサンブル・プレットロ(EP)の第6回発表会の為に作曲・指揮・初演された曲である。
【作曲者による解説より】昨年末、自作の「シルクロード」上演の為、北大チルコロ・マンドリニスティコ“アウロラ”の招きで渡道した時、雪に蔽われた万象を照らす月のとぎすまされた光から浮かんだモティヴをひねくるうち、30余年前、やはりこの“アウロラ”に招かれた頃の思い出から、北大の北に拡がる泥炭地の枯野に散る霙(みぞれ)の荒寥――更にニセコアンヌプリや十勝のスキー行などから、吹雪が作り出す雪の変容(そのころの自身の制作能力では再現できなかった)などをとりまとめて三部形の楽詩とした。 曲は、黒灰の厚い雲に閉ざされた空の下に拡がる枯萱の荒野の荒寥に始まる<枯野に散る霙>。風にもまれ、霙にうたれ枯原は乾いた音を立てて波うち、黒い泥炭地は白の斑点に鋳つぶされてゆく。雪の先ぶれである。霙の騒がしさが遠のくとフルートのソロが出て<月冴えて>に入る。 地表は一面、雪の白布におおわれ、夜は菩提樹の枯れた梢をゆるがす風もなく静寂であった。冷やかな月光に、かすかな“蒼”を含む雪の面を音もなく這う蒼銀のヴェールは、この雪原のどこかを流れる小川が吐き出す狭霧。突然曲は一転し、吹雪の動揺に突入する<雪の造形>。天地は白の闇に包まれ激しく鳴動する。吹雪はこのすさまじい動乱の間にさまざま造形する。枯葉一枚つけぬ枯木に氷雪の花を咲かせ、花はやがて甲殻類の尾を伸ばす。山稜には巨大な雪庇が発達し、常緑の木々は白衣の怪物に変化する。吹雪は更に山小屋を壮麗な宮殿に変容させてしまう。

音楽物語「朱雀門」〈長谷雄卿草紙より〉(1969)
SUZAKU Gate, Musical Story on “Lord Haseo Picture Scroll”

本曲は、鈴木静一氏が数多く世に出した音楽物語の一つ、「人魚」と並び、多くのマンドリン演奏会で取り上げられる曲。鎌倉時代末期に描かれた絵巻『長谷雄卿草紙』に基づく中納言長谷雄卿と朱雀門に住むと言われた鬼にまつわる伝説を題材にして作曲された、語りとマンドリン・オーケストラのための音楽物語。絵巻の時代は平安初期、登場人物は青年公卿長谷雄、長谷雄に賭双六を挑んだ男(実は鬼)、双六の賭の対象となる絶世の美女渚。劇的な展開に、京都に残る土俗音楽や雅楽のニュアンスも取り入れられている。

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