ジャン・シベリウス (1865.12.8-1957.9.20)
Jean Sibelius

ジャン・シベリウスは、ヘルシンキの北方約100kmのハメーンリンナで、スウェーデン系医師の家庭に生まれた。 2歳の時に父が他界、以後移った母の実家で音楽の才能を見出され、5歳でピアノ、14歳でバイオリンを始める。 この間幼少期から独学で作曲を始め、いくつかの室内楽曲を残している。1885年ヘルシンキ大学の法科に入学したが、翌年には退学、 ヘルシンキ音楽院で作曲とバイオリンの学習に専念することとなる。 その後ベルリン、ウィーンにて勉学を進め、1891年にフィンランドに帰国して母校で教鞭をとる傍ら創作活動を本格化、翌1892年に発表したクレルボ交響曲で成功をおさめる。 以降、7曲の交響曲、バイオリン協奏曲、「フィンランディア」に代表される交響詩を始め、ピアノ曲、劇付随音楽、声楽曲等を多数発表したが、 その大半はヘルシンキ近郊ヤルヴェンパーの別邸アイノラを舞台として作曲された。1926年頃には事実上作曲活動を停止したが、 1957年に亡くなるまで、国民的な英雄としてその人気は衰えることがなかった。

悲しきワルツ (1903)
Valse Triste from the incidental music for Kuolema, Op44

1903年に義兄アルヴィド・ヤルネフェルトの書いた戯曲「クオレマ」(フィンランド語で「死」の意味)につけられた劇付随音楽の一曲をコンサート用に独立させたものである。 「幼い息子がまどろみながら付き添う病床で、母親は華やかな舞踏会を夢に見る。亡き夫に姿を変えた死神に誘われるように舞踏会に加わって踊り、息子が目を覚ました時には息絶える」という内容である。

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