ジュゼッペ・マネンテ (1867-1941)
Giuseppe Manente

ジュゼッペ・マネンテは、イタリアのサンニオ地方のモルコーネに音楽家を父として生れた。ナポリ、マドリード、ローマの音楽学校に学び、1889年卒業と同時にコンクールに入賞し、歩兵第60連隊軍楽隊の指揮者となり、以降いくつかの軍楽隊長を務め、生涯100曲以上の吹奏楽曲を書いている。20世紀初頭はマンドリン音楽全盛の時代で、彼も多大の関心を寄せマンドリン合奏曲も35曲以上作曲している。

昔と今 (1896)
Antico e Moderno, sinfonia

序曲「昔と今」はマネンテのごく初期の吹奏楽曲であるが、マネンテと深い交流のあった故中野二郎により編曲された。中野二郎によるマネンテの吹奏楽よりの編曲は「華燭の祭典」、「ニューヨ−ク」など17曲を数え、指導をしていた同志社大学マンドリンクラブにて初演をしているが、これらは現在ではあたかもマンドリン・オリジナル曲のように扱われており、吹奏楽で演奏されることはまずない。(2007年3月17日、初の試みとしてプロの吹奏楽団「大阪市音楽団」により、マネンテの作品上記2曲と、マンドリン曲から本人自身により吹奏楽に編曲した「メリアの平原にて」、および中野二郎が編曲したその他の作家の吹奏楽曲を含めた全8作品が、“「響」の源流を訪ねて”と題するコンサートで演奏された。) 曲は昔を懐かしむような静かな旋律で始まり、ひととき懐古の念にふけるのであるが、やがて一転してこの今に生きる現実の厳しさ、楽しさを歯切れのよいテンポで表わし、生きる喜びを謳歌して終わる。
※「昔と今」 Antico e Moderno は、当合奏団 オルケストラ“プレットロ” のモットー「温故知新」の精神を表すロゴとして使用している。

メリアの平原に立ちて 作品123 (1909)
Sulla Piana della Melia Op.123

「メリアの平原に立ちて」は、1909年ミラノの Il Plettro 誌主催の第2回作曲コンクールで第2位に入賞し、翌1910年同誌に出版されるや、たちまちマンドリン界至宝の作品となった。1911年には作者自身により各所に改訂を加えて吹奏楽として編曲出版もした。吹奏楽版に故中野二郎氏が改訂部分をすべてマンドリン譜に付け加え、整曲したものである。曲種は Overture (序曲) である。
この「メリアの平原」というのはどこにあるのかという追求が昔からなされていたが、1970年代マンドリン音楽研究のため現地調査に赴いていた岡村光玉氏 (同志社大学MC出身、声楽家) がイタリアの中にメリアを発見した。そこはマネンテが所属していた連隊が、ある時期イタリア最南端の Reggiodi Calabria に駐屯していたが、そこから少し離れた高台で地中海やシシリー島北東端の岬を望む風光絶景の地が Melia であった。此処はその頃軍隊の演習地であった。また Melia は紀元前700年に小アジアに存在した古戦場の名前でもあったようだが、そんな由来から何世紀も前にこの地に住み着いたトルコやギリシャからの移住者たちがこの丘陵地を「メリアの平原」と命名したのかもしれない。
中野二郎氏はこの曲の注目すべきこととして、「プレットロ楽器を非常に大胆に取り扱い、今一歩でこの楽器の生命が失われるまでに豪放な作曲をあえて行い、しかもその中に円満さと流麗さとを留めていることで成功を収めた。流麗な旋律のみを求めていたイタリアのマンドリン界に、新しい試みを取り入れ清風を送り込んだ功績は大きい」としているが、これぞまさに吹奏楽作家マネンテの真骨頂であった。
本曲の曲想は、まさにマネンテがこの風光明媚なメリアの平原に立って、これまでに経験した激しい戦闘訓練や古のメリアの戦いを偲び草としながらも、それと対照的な優美なメロディによりこの地の美しい風景に感動しているという構成で、作者の忘れがたい印象を描写したものであろう。(中野二郎「いる・ぷれっとろ」より一部引用。)

カイロの思い出 作品340 (1922)
Ricordo di Cairo Op.340

マネンテは軍楽隊長退官後、1921年エジプト国王ファド・パシャの宮廷付き楽団の指揮者としてケディヴェに赴任した。この時期にエジプトに取材した一連の作品がある。本曲は国王の侍従武官長シェハタ・カメル・パシャ将軍に捧げられたもので、1922年5月宮廷附吹奏楽団により初演され、同年9月作者自身によりマンドリン合奏用に編曲してミラノのイル・プレットロから出版された。いたる所に増二度の出るムーア風音階が用いてあり、妖気漂うリズムに乗った異国情緒たっぷりのアラブ風小品である。

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