ニコラオス・ラウダス(1879〜1940)
Nikolaos Lavdas

ニコラオス・ラウダスはギリシャのアンドロス島に4人兄弟の長男として生まれた。20世紀初頭にかけて、ギリシャではマンドリンやギターが大流行で、兄弟も自己流でマンドリンを弾いていた。マンドリン流行の原因は、西側のアドリア海を挟んで隣国イタリアでのマンドリン音楽興隆からの影響と、東側のトルコに在住していたギリシャ人難民が本国へ持ち込んだ撥弦楽器ブズーキによる影響だといえる。一家は教育のためにアテネに移住し、ニコラオスはアテネ大学で物理学を専攻した後、アテネ芸術大学で音楽を学び、そのかたわらフランスのJ.マスネにも作曲の指導を受けた。1896年にマンドリン四重奏団を始め、これが発展して合奏団アテナイキ・マンドリナータが結成された。この合奏団は世界各地で公演を行ったが、1910年にイタリアのクレモナ国際コンクールに参加し、「ギリシャ序曲」の演奏で優勝した。

ギリシャ風主題による序曲(1915)
Ouverture sur themes Helleniques

「ギリシャ風主題による序曲」はイル・プレットロ誌主催の第4回合奏曲コンクールで佳作入選となり、後に「第2ギリシャ狂詩曲」(2a Rapsodia Ellenica)とも命名された。この曲はギリシャ民族音楽といわれているブズーキ音楽の大衆歌謡レベティカを基にした合奏曲。ブズーキは当初複弦3対6弦の楽器だったが、次第にマンドリンと同じ4対8弦になった。この曲は、世界的に有名になったギリシャを舞台にした映画「日曜はダメよ」のテーマ音楽に似た雰囲気で始まるが、続いて弾かれる長いカデンツァ・ソロの後、リズミカルなメロディがシルタキ舞曲といわれるものである。このダンスはギリシャの居酒屋タベルナなどで、お酒を飲んだ人たちが肩を組み、輪になって足を右左と揚げながら、哀愁に満ちたブズーキの音と共にリズミカルに踊っていくギリシャ独特の踊り。このシルタキ・ダンスはゆったりしたハサピコで始まり、だんだん速く盛り上がっていく。そしてコーダは再び初めのテーマに戻り、ダイナミックに終わりを告げる。

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