エドワード・ウィリアム・エルガー (1857.6.2-1934.2.23)
Edward William Elgar

エドワード・エルガーは、ウスター近郊のロウアー・ブロードヒースで、ピアノ調律師として働きながら楽譜・楽器商を営んでいた父と、農家の娘であった母の間に、7人兄弟の4番目として生まれた。幼少期から音楽を教え込まれ作曲を始めていたが、作曲家としての名声を高め世界に認められたのは1899年の「エニグマ変奏曲」からであった。行進曲「威風堂々」、「ヴァイオリン協奏曲」、「チェロ協奏曲」、2曲の交響曲などは世界中の演奏会で取り上げられ、後にナイト、準男爵を叙して国王の音楽師範を務めることとなる。

愛の挨拶 (1888)
Salut d'Amour

「愛の挨拶」は名声を博す前の1888年に、婚約者に贈るピアノ独奏曲として書かれた。婚約者キャロライン・アリス・ロバーツは、1886年にエルガーに入門したピアノの生徒で、家柄も良く周囲からの反対も強くあったが、1889年結婚を果たし、以後32年間に亘りエルガーを支え続け、大きな力となった。この曲はその後エルガー自身の手で、ピアノとヴァイオリン、ピアノとチェロ、小編成の管弦楽などいくつかの版が残されて、今日多くの演奏家が好んで演奏するに至っている。

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