ビゼーは声楽教師の父、ピアニストの母のもとパリに生まれた。9歳にしてパリ音楽院に入学し、若くしてピアノ、声楽他の演奏家として多くの賞を獲得するが、劇音楽家を目指したビゼーは、25歳の時にオペラ「真珠採り」にてオペラ作曲家としての地位を確立する。その後も30曲程の劇音楽を作曲したと言われるが、現在ではオペラ「真珠採り」、付随音楽「アルルの女」、オペラ「カルメン」以外に殆ど知られていない。
「アルルの女」はアルフォンス・ドーデの戯曲に付された付随音楽。全27曲の中から4曲を選んでビゼー自身が管弦楽用に編曲し、第1組曲とした。後に生涯の盟友E.ギロー (1837-1892) が更に4曲を選んで編曲し、第2組曲とした。
・前奏曲(第1組曲) prelude
3部構成となっており、第1部の主旋律はプロヴァンス民謡『3人の王の行列』に基づく。第2部の旋律は主人公フレデリの弟を表す動機によっている。第3部はフレデリの恋の悩みを表している。
・アダージェット(第1組曲) Adagietto
第1組曲の第3曲。劇音楽No.19 メロドラマの中間部からとられている緩徐楽章。
・メヌエット(第2組曲) Menuet
アルルの女といえば、この曲が連想されるほど有名な曲であるが、実は第2組曲を編んだ友人の作曲家ギローが、ビゼーの歌劇『美しきパースの娘』の第3幕の二重唱の伴奏部分を、編曲したものである。
・ファランドール(第2組曲) Farandole
ファランドールは、南フランスのプロヴァンス地方やそれに近いイタリア地方で行なわれる8分の6拍子の早いテンポの踊り。大勢の男女が手をつないだり、ハンカチやリボンを持ち合ったりして輪になって踊り、伴奏者は郷土楽器のガルーベという三孔の笛を片手で奏し、もう一方の手でプロヴァンス太鼓を鳴らしてリズムをとる。
「カルメン」はプロスペル・メリメの小説「カルメン」を基に作曲された4幕のオペラで、1875年3月3日にパリのオペラ・コミック座で初演されたが、大変な不評に終わった。失敗の原因は、それまでの絢爛豪華な舞台とは異なる煙草工場で、登場人物も労働者や密輸業者等で全く華やかさが無かったこと、また初演の演奏が主役以外は劣悪であったためとも言われている。ビゼーはこの初演後3か月程で36歳7か月の生涯を閉じるが、その後オペラ「カルメン」をはじめとする彼の音楽は世界に広く認められることとなる。第一幕への前奏曲は、「カルメン」といえばこの曲を思い出すほど有名な曲。 躍動感にあふれ、中間部には闘牛士の歌を挟みながら、高らかに歌い上げる。 ジプシーの歌は、第二幕の酒場の場面で、カルメンがジプシーの仲間と共に情熱的に歌い踊る曲。