大栗 裕 (1918-1982)
Ohguri, Hiroshi

大栗裕は大阪生れ、ホルン奏者で作曲家。 1955年木下順二作「赤い陣羽織」を作曲、関西歌劇団創作オペラ第1回公演に武智鉄二演出により上演、大成功を博し、以後100回を超す公演に取り上げられた。1957年にベルリンフィルハーモニー管弦楽団の為に「大阪俗謡による幻想曲」を作曲、朝比奈隆指揮により初演、大成功を博し、この2曲が同氏の代表作となった。ベルリンフィルとのリハーサルでは最初の合奏練習後、団員全員が立ち上がり、「ブラボー!」と叫んだと言われる。管弦楽のみならず吹奏楽の分野でも大活躍しスター作曲家となった。作品がかもし出すその強い民族性から「東洋のバルトーク・浪速のバルトーク」と呼ばれ親しまれた。
1958年以来関西学院大学マンドリンクラブを指導、数多くのマンドリン合奏用作品を作曲した。「マーヤの結婚」「ごん狐」「星」「ひょう六とそばの花」「祈り」「わかさぎあわれ」「赤いろうそくと人魚」「白い馬」「静」「傀儡師」「バーレスク」「マンドリン・オーケストラの為のシンフォニエッタ第1〜7番」等が代表的な作品である。

シンフォニエッタ (第1番) (1967)
Sinfonietta for mandolin orchestra (No.1)

【作曲者による解説】
この曲には特別な副題をつけては居ない。然し、日本の伝統的なメロディ及びリズムの上に近代的な和声で彩色する事によって、新しい日本の音楽を創造しようとする野心が作曲者にはあった。第1楽章は今は僅かにその面影を仮面と衣裳だけによってしか窺い知る事の出来ない「伎楽」を、作曲者が斯くもあろうかという想像に従って現代に再現しようとする。当然、音楽的な素材はその断片すら残す事のなかった「伎楽」の事であるから、そのストーリーによって(但しこのストーリーですら学者の間では種々の異論もあるそうだが)作曲者が組み立てたものである。日本風のファンファーレに始って華麗な幻想をその中に繰り広げる絵巻物を表現したかった。第2楽章は三部形式を採り、緩やかでやや哀愁を帯びた民謡風のメロディと単純なリズムによって、過ぎ去った日を静かに追憶しようとする。第3楽章はロンド形式で粗暴とも思われるリズムの上に興奮したメロディが乗ってくる。これは古代の人々の祝宴でもあろうか。特にこの楽章によって作曲者は関西学院マンドリンクラブの創立50周年を祝福する意図を明確にしたかった。(1967年11月26日)

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